藤三旅館について
藤三旅館について
藤三旅館
花巻南温泉峡に600年超佇む、唯一無二の一軒宿
開湯600年、源泉100%掛け流し。
現代では再現することのできない、総けやき造りの本館。
宮沢賢治、田宮虎彦が愛した宿。
その歩んできた歴史と、さまざまな偶然が重なったからこそできた
新しいものには真似できない懐古的な、温かみのある宿です。
温泉の由来
今から600年程前、当館の藤井家の祖先が高倉山麓でキコリをしている時に、岩窟から出てきた白猿がカツラの木の根元から湧き出る泉で手足の傷を癒す姿を見たことにより発見されたと言い伝えられています。
これが温泉の湧出であることを知り、1443年頃に仮小屋を建て、一族が天然風呂として開いたと云われています。その後、大衆の浴場として1786年に長屋を建て、温泉旅館として開業したのが始まりです。このような理由で温泉開湯のきっかけから名を取り「白猿(しろざる)の湯」と呼ばれるように。
岩手の大地から惜しみなく溢れる、名湯の湯
藤三旅館の真下から溢れる、その湯は「新日本百名湯」「日本温泉遺産」に選ばれるほどの上質な湯です。
有名といわれる温泉地でさえも滅多にない源泉5本を有し、館内全4浴場すべて「源泉100%掛流し」と贅を極めた湯に浸かることができますことができます。
シャワーからでてくる湯までもが源泉を使用。「源泉100%」の真髄はここ、藤三旅館だからこそ味わうことができます。
館内の4浴場は全て「源泉100%掛流し」 まさに本物の温泉。
これぞ本物の温泉。当館では岩手の大地から湧き出た温泉を、「沸かさず(加熱)」、「薄めず(加水)」、「循環させず(かけ流し)」皆様の元へお届けしております。岩手の大地から湧き出た温泉が持っている、自然の豊かさを肌で感じてくつろぎの時間をご堪能ください。
当館付近の自然・環境
花巻市の奥羽山脈の中腹に位置しております。日々の喧噪から逃れ、「何もしない」贅沢を愉しむにはピッタリの環境です。
大自然に囲まれた豊沢川畔に建つ当館。夏は鈴虫の音色が感じられ、秋にはささやかではありますが紅葉を楽しむことができます。
花巻南温泉峡「鉛温泉」唯一の一軒宿です。
地産地消。それが美味の秘訣。
お料理には岩手県花巻産の野菜とお米や地元で採れる山菜やきのこを贅沢に使用し、海の幸は世界三大漁場「三陸」で採れたもを使用。花巻だからこそ味わえる、四季折々の食材とその鮮度。
温泉を堪能した後は、ご夕食を心ゆくまでお楽しみくださいませ。
田宮虎彦の小説の舞台になった藤三旅館
田宮虎彦の小説「銀心中(しろがねしんじゅう)」の舞台になったのも、藤三旅館です。
小説は、田宮虎彦が1ヶ月あまりの間、玄関上の3階お部屋(20号室)に逗留して執筆されました。
宮沢賢治も当家との遠戚関係からよく訪れました。童話「なめとこ山の熊」の中にも『腹の痛いのにも利けば傷もなおる。鉛の湯・・・・・』と、うたわれております。
田宮虎彦ゆかりのお部屋
「田宮 虎彦」の小説「銀心中(しろがねしんじゅう)」の舞台になった藤三旅館、田宮虎彦が1カ月余りの間、藤三旅館玄関の3階お部屋(20号室)に逗留して執筆されました。(画像:羅須地人協会)文豪「宮沢 賢治」に愛され、舞台になった湯宿「藤三旅館」
「銀河鉄道の夜」「注文の多い料理店」などの小説の作者である宮沢賢治は当家との親戚関係から、幼いころからよく訪れておりました。宮沢賢治が執筆した童話「なめとこ山の熊」の中にも、「腹の痛いのにも利けば傷も治る。鉛の湯・・・・・」とうたわれております。
宮沢賢治が愛した宿とうたわれている宿は他にもございますが、作品に登場する宿は当館唯一となります。
多くの人に支えられて
藤三旅館は、創業以来、数多くの方にご宿泊お引き立てをいただき、支えられてきました。
毎年、湯治を楽しみに宿泊されるお客様、ご家族のお祝い事や記念日に宿泊いただくお客様。
趣きある藤三旅館のたたずまいと、白猿の湯は多くの皆様に愛されて参りました。
今までの歴史を踏まえ、今後もお客様皆様にご満足いただける、最上のサービスをご提供できるように、従業員一同取り組んでまいります。
会社概要
会社名 | 鉛温泉株式会社(藤三旅館) |
創業 | 天保12年(1841年) 昭和17年に株式会社へ組織変更 |
住所 | 〒025-0252 岩手県花巻市鉛中平75-1 |
代表者 | 代表取締役 藤井 祥瑞(よしみつ) |
代表電話 | 旅館部 0198-25-2311 湯治部 0198-25-2901 |
FAX | 0198-25-2312 |